日本のスポーツ教育にはケガのケアに関心を高めるべきではないだろうか
今週のお題「運動会とスポーツの秋」
数年前のことですが、ケガをしてさる接骨院に通っていた頃の話です。
そこは先生が体育学部の講師をされていたこともあり、スポーツをされている患者さんもたくさん来るところでした。そのため近隣の子供たちもたくさん来ていたのですが、たまたま私と同じ時間に治療を受けている肩を痛めていた男の子がいたのです。
先生は投げるのを当面やめないとだめになると言っているのですが、本人はどうしても投げたい、という状況でした。
上記の件は一例ですが、長い間気になっていることとして、日本のスポーツ教育では、特に部活動においてケガの予防や治療に対し、関心が低いのではないかと気になっています。
※日本の、と書いているのですが、海外のスポーツ教育がどのようになっているのか具体的なことがわからないので、比較してではないことを断っておきます。枕詞的?な感覚です。
ニュースやドキュメンタリに限らず、創作でも漫画やアニメのスポーツものでも、ケガを押してプレイすることが、しばしば美談となっています。
チームや仲間のため痛みを堪えてがんばるというのは、感動のストーリーをつくるのに向いているからなのでしょう。
一方で、早めのケアを怠らなかったので大事には至らなかったというようなタイプの話はほとんど出てきません。
スポーツは本来、健康な心身をつくるというのがひとつの大きな名目となっています。
高校の学習指導要綱でも、
- 生涯にわたって豊かなスポーツライフを継続する資質や能力の育成
- 健康の保持増進のための実践力の育成
- 体力の向上
と、うたわれています。
だとすればケガの予防や治療に対する関心はもっと高くてもいいのではないかとおもうのですが、あまりそういう気配はないようです。
今しかない、が将来に禍根
高校野球での投球過多の問題のときの顕著でしたが、「彼らには今しかない」という言葉がよく言われていました。
たしかにその大会は今だけなのですが、ケガを悪化させてしまうと一生涯苦しむことにもなりかねません。
慢性的な痛みに苦しんだり、思うように身体が動かないということになります。
仕事で知り合った方で、学生時代にバレーをされていた人がいます。
大ケガをしたわけではないのですが、小さなケガが積もり重なり、今でも天気が崩れると身体のあちこちに痛みが出るそうです。
また別の方で、野球をしていた方は、今でも右の肘がしっかり曲がらない状態です。
どちらもプロを目指していたようなレベルではない方なのですが、学生時代のケガで生活に不自由がでる状況です。
ケガへの関心を高めることが医療費削減につながるかもしれない
スポーツ教育でのケガのケアへの関心が低い理由として、私は学生スポーツが教育の建前を持ちながら、ショービジネスと化しているところにあるのではないでしょうか。
最近やり玉に挙げられる高校野球の甲子園大会は、プロ野球やJリーグを超える熱狂を生み出しています。
もちろん日本の悪しき根性論が未だに幅をきかせているところもあるのでしょうが、多額の金銭が動き、指導者の名誉や地位が、学生たちの成績で決められてしまう以上、どうしても無理をさせてしまうところは想像できます。
スポーツ教育でケガの防止や治療といった身体のマネージメントに対し、もっと意識を高めていくことは重要ではないでしょうか。
各自が身体のケアに気を配ることが自然に身につくようになれば、問題となっている医療費の削減にも多少はよい影響があるのではないかと想像しています。
ブログの趣旨とは違うのですが、せっかくはてなのお題にありましたので、気になっていたことを長々と書いてみました。
というところで今回の記事を閉めたいとおもいます。